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冬も桜が満開?(2011.12 東京・目黒川)
冬も桜が満開?
(2011.12 東京・目黒川)

これぞ文化的景観(2011.8 高知・四万十川)
これぞ文化的景観
(2011.8 高知・四万十川)

ここでも川ガキ健在(2011.7 島根・高津川)
ここでも川ガキ健在
(2011.7 島根・高津川)

水辺の癒し効果(2011.4 東京・神田川)
水辺の癒し効果
(2011.4 東京・神田川)

哲学の道(2010.12 京都・琵琶湖疎水)
哲学の道
(2010.12 京都・琵琶湖疎水)

水辺の活気(2010.9 韓国・漢江)
水辺の活気
(2010.9 韓国・漢江)

川ガキ健在(2010.5 神奈川・和泉川)
川ガキ健在
(2010.5 神奈川・和泉川)

ハイチーズ(2010.4 東京・目黒川)
ハイチーズ
(2010.4 東京・目黒川)

墨堤の桜(2010.4 東京・隅田川)
墨堤の桜
(2010.4 東京・隅田川)

漁師と川(2009.11 新潟・阿賀野川)
漁師と川
(2009.11 新潟・阿賀野川)

夕刻の水辺(2009.11 北海道・サロマ湖)
夕刻の水辺
(2009.11 北海道・サロマ湖)

蘇った水辺(2009.9 東京・お台場公園)
蘇った水辺
(2009.9 東京・お台場公園)

じゃんけんぽん(2009.8 韓国・清渓川)
じゃんけんぽん
(2009.8 韓国・清渓川)

川へジャンプ(高知・四万十川)
川へジャンプ
(2009.8 高知・四万十川)

風情ある沈下橋(高知・四万十川)
風情ある沈下橋
(2009.8 高知・四万十川)

活気ある水辺(東京・多摩川)
活気ある水辺
(2009.6 東京・多摩川)

噴水に集う子供たち(東京)
噴水に集う子供達
(2008.6 東京)

鯉のぼりと川ガキ(神奈川・相模川)
鯉のぼりと川ガキ
(2009.5 神奈川・相模川)

水辺の伝統行事(東京・目黒川)
水辺の伝統行事
(2008.6 東京・目黒川)

出会い(東京)
出会い
(2008.6 東京)

水路に集う子供達(東京)
水路に集う子供達
(2008.4 東京)

韓国・清渓川
水辺での歩行練習
(2008.3 韓国・清渓川)


賑やかな水辺
(2007.9 北海道・漁川)

北海道・漁川
川ガキ健在
(2007.9 北海道・漁川)


空が恋しい日本橋
(2007.7 東京・日本橋川)


風情漂う日本の川
(2007.4 新潟・阿賀野川)

 

INSPIRED BY WATER (水を通して人を幸せに!)

~ 全ての川を泳げる川にプロジェクト ~

私達の体の半分以上を構成する「水」が、生きる上で不可欠の存在であることに疑問を抱く人はいないはずです。飲み水、料理、風呂、トイレ、洗濯、掃除、冷暖房など、日々の暮らしで「水」に関わらない日はありませんし、毎日口にする野菜や穀物やタンパク質を生産するためにも大量の「水」が使われています。

この「水」を少しでも便利に、また効率的に利用するため、行政や民間のプロフェッショナルたちが、長い年月をかけて上下水道や河川改修など、「水」の流れを制御する仕組みを整備してきました。蛇口をひねればおいしい飲み水が出て、自動で衣類も食器も洗われてしまう、さらには水害に遭うことも少なくなった今の暮らしは、そうした先人の知恵と努力の上に成り立ていると言っても過言ではありません。

そうした一方で、この便利で安全な暮らしを続ける中で、私達にとって「水」が空気のような当たり前の存在となり、その大切さや有難さを感じる機会も失ってしまいました。この「水」に疎くなった結果、無意識に「水」を汚し、「川」に背をむけ、また「水」の怖さを忘れた事故が起きるなど、「水」をめぐる様々なきしみが社会で露呈しているように感じます。

かつての日本人がそうであった様に、常日頃から「水」や「川」の存在を意識して暮らすライフスタイルに戻すことはできないだろうか? 私達が毎日使う「水」がどこから来て、どこへと流れていくのか、またどのように我々の生活は「水」の恐怖から守られているのかを市民一人一人が熟知する社会が実現すれば、きっと「水」に関わる諸問題の多くが解決されるに違いない・・・・ そんな想いから生まれたのが、この「水のwebライブラリ」です。

「水のwebライブラリ」は、「水」に関する様々なニュースや風景、また専門知識を得るための書籍等の紹介を通じて、「水」や「川」が私達にとってより近い存在となり、その結果として、かつての人と水の関わりや良好な水環境が蘇ることに貢献することを目指しています。

ゴールは「全ての川を泳げる川に!」。社会の「水」意識の変化が、地域の暮らしと心の鏡である「川」の姿に表れることを信じ、水&川を通じた感動を創造 していきます。

管理人お気に入りの「水と川の至言・卓説」

◆「自然と共生した流域圏・都市の再生」(岸由二 P173)

現実の都市に暮らしていて、自然環境と共存する持続可能な地球社会をどう工夫していくかと言うことを、グラスルーツをベースに考えてみる。何が一番大きな障害かと言うと、そこに暮らしている人々、そこをいろいろな形で計画している行政、そこでいろいろな活動をしている企業、それぞれが自分たちの足元の地球という場所を自覚して、その場所の制約の中で生きているのだと言う意識をほとんど持っていないことかと思う。

◆「水問題の重要性に気づいていない日本人」(橋本淳司 P80)

人はみな自分のところに流れてくる水にはあれこれ気をつかうのに、自分のところから流れていってしまう水には無神経だ。家庭用浄水器をつける人は多いが、汚い水を流してはいけないと生活排水浄水器をつけた話は聞いたことが無い。

◆「知られざる水の「超」能力」(藤田紘一郎 P222)

水は暮らしに溶け込み、文化をかたちづくる。私たちの食、精神性、生き方までもが、水と深く結びついている。

◆「水の名前」(内山りゅう P173)

われわれ日本人は、古くから水のある風景を美しい言葉で表現してきた。「雨」という自然現象一つをとってみても、降る時期や量、降り方などでその呼び名が異なる。水が豊富であるということは、日本人ならではの自然観と感性を育み、美しい水の名前を生んできた。

◆「社会を映す川」(高橋裕 P31)

明治以来、日本の治水は西欧型文明の吸収と軌を一にして、モンスーン・アジア地域で始めて洪水を抑え込む果敢な技術で対処してきた。それは相当程度の成功を収めた。しかし、これからの地球温暖化と人口減少、それに伴う土地利用の変化が予想される日本に必要なことは、従来型治水の延長ではなく、日本社会がこれまで築いてきた自然共生型の土地・水利用を「土地と水の哲学」として21世紀型に再構築することである。

◆「水と世界遺産」(朱安新 P210)

近年、水の利用や管理をめぐる行政的対応・処理が制度的に確立してきたため、水の利用が便利になってきた一方、自分たちの手で管理できていた「近い水」が手の届かない「遠い水」となってしまっている。

◆「東京エコシティ 新たなる水の都市へ」(久野紀光 P146)

都市の水辺とて例に洩れず、河ならば護岸によって河道は規定され、海ならば干潟や浅瀬は次々と埋め立てられ、安定した”陸”とされた。こうして陸と水は明確に区分され、わが国にも技術に裏打ちされた機能的役割分担都市が完成した。ところが、いくら人間が日常の生活を陸に預けこれと水とを区別しようと試みても、自然の力はその境界をしばしば簡単に乗り越える。突破される度に技術でより強い境界を構築すれども、力でねじ伏せようと歪められた自然とのバランスはさらに強い突破力をもって人間の設定した境界の崩しにかかる。
渇水、集中豪雨、鉄砲水、増水、洪水、温暖化・・・・・・技術とのいたちごっこは、近代合理性の象徴たる明確な区分という自らが決めたルールが引き起こす悪循環以外のなにものでもない。そろそろ、そうした力技が引き起こす悪循環にしのぎを削ることはやめて、かかるエネルギーを違うベクトルに向けたほうがよほど楽になるのではないだろうか。

◆「人と水」(白幡洋三郎 P23)

池や川の岸は柵や防護フェンスで囲われ、堀や水路はフタで隠されて安全にはなったが、人の注意力を減退させ、ひいては人間の感覚、美意識をも鈍磨させた。水への観察力は近代の技術的進歩によって減退したように思える。

◆「食を育む水」(熊倉功夫 P3)

今、水が生活の中から失われて、水はかえって口から摂取する水に特化されて注目されるようになっている。いわくおいしい水、いわく安全な水、いわく体によい水・・・。<中略>情報化の中で、ますます水は選別され、われわれは知らず識らずのうちに裸の大様になってしまうのではないかと、それが不安である。

◆「食を育む水」(小野芳朗 P36)

水を町中のストアで買う。しかも値段は水道水の2000倍である。2000倍と言う数字を知ってもなおコンビニで人々は水を買うだろうか。それは水道の安全神話崩壊の裏返しだろう。

◆「食を育む水」(小野芳朗 P53)

それらの役割がすべて入れ替わっていくのは、近代水道ができ、水の流れが人々の目から消え、下水口に入って、やがて知らないところで川に流されていくシステムが出来てからである。<中略>河川などの表流水は繰り返し使われ、一部は都市の景観用水として愛でられている。それらは意味のあるものなのか。形は似ているが、機能や意味の異なる風景を私たちは見せられ、飲まされているのではないか。水辺は遠くなった。人々は水に疎くなったのである。

◆「食を育む水」(関野吉晴 P82)

私のこころをつかんでいるのが「川」である。川をたどっていくことで、いろいろな水の問題がとてもよくみえてくるし、川と一緒に旅をすると、川もまた旅をするんだ、水も旅をするんだと実感する。川がいま大切な問題を私に教えてくれている。

◆「食を育む水」(関野吉晴 P98)

いま、化石燃料の枯渇や地球温暖化の問題とも絡んで、エネルギーをめぐる論議が喧しい。だが私は首をかしげる。本当にそうなのかと。極端な話、石油が無くても人間は生きられる。自然エネルギーをもっと活用できるだろうし、生活の仕方を変えて対応することも可能だろう。しかし、もし水がなくなったら、生存そのものが脅かされるのだ。水が豊かといわれる日本では見え難いが、世界ではいま、水をめぐるきしみがさまざまに露呈している。

◆「川と生きる 長良川・揖斐川ものがたり」(久保田稔 P3)

川がある限り、必ずその川と先人たちとの物語がある。長良川や揖斐川のような大河ではなく、町中や農地を流れる小川でさえ、現代では想像もつかないほど、人びとの生活に大きく関わっていたということに、注意深くありたいと思う。

◆「水の未来 世界の川が干上がるとき 」(フレッド・ピアス P6)

川の運命ほど、この地球上に生きる私たちの次世紀へ向けた未来に大きく影響するものは無く、おそらくその影響力は地球温暖化のそれよりも大きい。

◆「21世紀の河川学」(芦田和男 Pi)

洪水に対する治水安全度は格段に高められ、水道が整備され、レバーを動かすだけで目的とする水を目的の量だけ得ることが出来るようになった。反面、自分が使っている水の源さえ分からない状況を作り出し、川に背をむけ、水を汚し、生き物の生息場に対して容易には回復できないほどのダメージを与えている。

◆「新版 河川工学」(高橋裕 P275)

河川は、それぞれの地域の自然を構成する重要な要素であり、その地域の風土、文化を形成してきた歴史的所産である。地域の人々は、洪水、渇水の経験を重ね、河川との共生を磨きあげてきた。

◆「水と人の未来可能性 しのびよる水危機」(立本成文 Vii)

人間は生活するのに近くの水で十分であった。しかし、現代では、遠くから水を求めなければならず、遠くの水に依存しなければ生活できない。見える水もあれば見えない水もある。いろいろ形を変えて存在する水がアンバランスに分布することが地球環境問題を起こしているとも考えられる。

◆「水と人の未来可能性 しのびよる水危機」(佐藤洋一郎 P14)

人びとは、次の洪水がいつやってくるかを予測することができた。そして、洪水の時期が来ると、自らの生活のリズムをそれに合わせた。つまり洪水の「災い」を福に転じるために、洪水そのものを防止しようというのではなく、自分の生活のほうを洪水に合わせたのである。(中略)ダムを作るなどして治水を果たした「先進国」のやり方のほうが、自然を支配しようとして落とし穴に落ちたのではないかと私は思う。

◆「水と人の未来可能性 しのびよる水危機」(佐藤洋一郎 P29)

足元が水に親和的であれば、社会は多少の水を許容する。「地下鉄」や「パンプスの生活」は、わずかの水をも許容できない。だから、わずかばかりの洪水をも起こさせまいとする努力を社会として払うことになる。そのためのエネルギーが地球環境の悪化に拍車をかけているのではないだろうか。

◆「水と人の未来可能性 しのびよる水危機」(谷口真人 P136)

これからの地球環境問題としての水を考える上で、これまでのようにtoo much water (to control)やtoo little water (to survive)といた現在の水の空間分布のアンバランスによる問題だけを対象にしていては水問題の本質に迫れない。Too far water (to imagine)やtoo slow water (to recover)など、時間と空間をまたいだ水の循環を意識し、(中略)人工的な水循環と自然の水循環との折り合いをどのようにつけるかを議論していくことが重要になるであろう。

◆「水と人の未来可能性 しのびよる水危機」(谷口真人 P139)

水は、衣食住文化など、文化の一部として、人が持つ価値観と密接につながっている。つまり水循環は、「人間と自然との相互作用環」としての「環」そのものともいえる。

◆「川は生きている―自然と人間」(森下郁子 P208)

河川を考えるということは、つまりそこで生活する人たちの文化の質と価値観の問題なのである。

◆「日本の民俗〈2〉山と川」(湯川洋司 P2)

山から海へ至る水の流れに沿いながら一筋に結ばれた暮らしの連携こそが、日本の暮らしの原型となってきた。(中略)一筋の水の流れを水系といい、その流れのおよぶ地域を流域ということができるが、その具体的な表れは川にほかならない。だからまた日本は川の国だともいうことができよう。

◆「日本の民俗〈2〉山と川」(菅豊 P200)

水は、川という器に従うときには、用水であるとともに、魚を育て捕る場であったり、交通路であったり、動力源であったり、さらには遊び場であったりする。実に可変的で、多様な価値を、水はもっているのである。

◆「日本の民俗〈2〉山と川」(菅豊 P210)

人には「人柄」、土地には「土地柄」があるように、水にも「水柄」がある。その「水柄」は、人々の生活を規定し、そして、そこにはぐくまれる文化を創造し、さらに、そこで育まれてきた人々の性格にまでも影響を及ぼす。

◆「日本の民俗〈2〉山と川」(湯川洋司 P282)

川が流域の暮らしの質を映し出すものであるとすれば、水の質もまた同じように暮らしの質に応じて変化する。水を汚さず、水の流れも止めずに誰もが安全に利用できるようにするためには、一見遠回りのようだが、私たちの暮らしとその場を健やかにはぐくむことが何よりも大切で確実は方法になろう。

◆「里川の可能性―利水・治水・守水を共有する 」(沖大幹 P131)

結局、今後の川をどうしたいのか、の判定基準は、いかにすればわれわれの子孫にとって良い川を残せるか、にある。何が百年後、千年後に「良い」川なのか、行政だけに任せず、各人が知恵を寄せ合うことが大事なのである。

◆「水が握る日本の食と農の未来」(谷山重孝 P146)

水は、ほかのもので代替ができず供給量が限られ、全ての生命にとって不可欠なものであり、市場原理にゆだねるわけにはいかない基本的財であると思う。

◆「日本の川―心に残る名風景」(佐藤秀明 P3)

日本が大きく変わっていく中で川の姿も引きずられるように変化して行った。圧倒的に良くなった多摩川のような川もあれば、死に急いでいる川もあるし既に死んでしまった川もある。それでも僕たち人間は川が大好きなのだ。川がそこにあるだけで心が安らぐ。

◆「「脱ダム」のゆくえ 川辺川ダムは問う」(嘉田由紀子 P149)

都市こそ自然が大事。子どもや若者の心が疲弊する時代には、心安まる川が欲しい。自然順応型、洪水織り込み型の社会がありうると考え、四十年たっても治水効果が上がらないダムは見直すべきだ。

◆「森と川―歴史を潤す自然の恵み」(池上俊一 P145)

「森と川」は、人間が日々の生活を送り、農村や都市における経済・社会を維持・発展させるのに必要な物質的な条件であるだけではない。それはまた、人々が自分たちを包む世界を想像したり、自己の内面を透視したりするための、心的な条件でもあるのである。

◆「水と文明―制御と共存の新たな視点」(秋道智彌 P7)

洪水にはプラスとマイナスの側面がある。洪水は上流から豊かな栄養塩を運び、肥沃な土壌をもたらす。洪水は湿地における農業に不可欠であり、一定の撹乱は生態系の再生にとっても重要であった。ただし、洪水はあらゆる財を破壊し、生命を奪う。(中略)洪水は天の恵みであるとともに、避けることのできない自然の威力であるとして、なすがままに諦める境地に立てば、人間が自然をねじ伏せてしまうことがいかにむなしいことであるか。

◆「水の知―自然と人と社会をめぐる14の視点」(沖大幹 P6)

国内外で、都市の水環境を再生し、豊かな水辺を取り戻そうという取組みは続いています。川が滅ぶのは暗渠化されたときではなく、近隣住民の関心が途絶えたときなのです。

◆「水の知―自然と人と社会をめぐる14の視点」(大熊孝 P32)

単目的に効率のいい近代的な技術には限界があり、人びとが地域に生活して、そこの自然環境との関係性の中で、ふるさとを実感し、誇りの持てる技術が望まれているということです。まず、この技術のあり方を理解しない限り、川と人との良好な関係性を回復することはできないのです。

◆「水辺の多様性 (東アジア内海文化圏の景観史と環境)」(佐野静代 P98)

再生の目標を明らかにするためには、まずは水辺のトータルな環境変化に関する歴史的検証が不可欠である。したがって、水辺の保全・再生という現代的課題に際しても、歴史研究や地域研究の視点が必要とされているのである。

◆「水に棲むものたちの物語」(内山りゅう P8)

近年になって日本の水環境は一変し、清らかな水は確実に、そして急速に失われつつある。我々は急激な変化には気づくが、緩やかな変化には気づきにくい。清らかな水が減りつつあることを、我々に伝えてくれるのがそこに棲む生き物たちなのだと私は思う。

◆「台所を川は流れる-地下水脈の上に立つ針江集落」(小坂育子 P4)

水は単に生きていくために必要な量やその質を問題視するだけではなく、人と生き物が深くかかわりながら、暮らしの風景にいろどりとにぎわいを与えてくれます。

◆「川跡からたどる江戸・東京案内」(菅原健二 P2)

川を泳いでわたった時代から舟でわたる時代、橋が架けられ歩いてわたった時代、橋の上を自動車で通る時代と、川を取り巻く社会環境は時代とともに大きく変わる。だが、川が人々との生活に深くかかわりをもち、その地域の歴史とともに今日にいたっていることもまた事実だ。

◆「タイの水辺都市」(庄司旅人 P40)

川はタイ語で「母なる水」と表現される。住環境の違いはあっても、人びとの生活は決して水から遠ざかることはない。むしろ積極的にそれを日常に取り入れようとする。かつて水が豊富で水辺に華やかな都市を築いてきた日本に生きるわれわれが、タイから学ぶことは多い。

◆「川」(井上靖 P9)

私が川が好きだといふのも、川といふものはどんな川でも、みな海へ出ようとする一途さを持っているからでせうか。人間でも川のやうな一途な流れをその経歴に持つている人は立派ですな。

◆「水が世界を支配する」(スティーブン ソロモン P27)

水には歴史を変える大きな力がある。ある社会が水資源を以前より管理しやすいものに、多く利用できるものに、飲むのに適したものに、あるいは航行しやすいものに改良するとき、その社会は単に水による障害や制約を取り払うだけでなく、水に本来備わっている潜在力を解き放ち、それをさらに活用できるようになるのだ。

◆「水が世界を支配する」(スティーブン ソロモン P442)

水の特別な性質として歴史から学ぶべきことがある。それは、水と人間性が、切っても切れない関係にあることだ。水は、生きるために必要なだけではなく、人としての尊厳を与えてくれる存在だ。

 

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